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7月7日

 証明写真を撮るためにフォトスタジオの入ったショッピングモールに出向いた。ふと、通路を見ると色鮮やかに短冊が括り付けてある笹が設置してあり、ああそういえば今日は七夕だったのだなと思い出す。わたしは人の願いごとを見るのが好きで、よく神社なんかにある他人の絵馬などをひとつひとつ手にとって見てしまう。字が綺麗な人、実に切実で複雑な願いを書いている人、よくありがちな『〇〇とずっと一緒にいれますように』なんて書いている人、健康、安全、安泰。話を戻そう。ショッピングモールの笹の前で立ち止まったわたしは、ご自由にお書き下さいと丁寧に設置されているテーブルに向かい、マジックと短冊を手にとった。自分の願いごとを公衆の面前に晒すのは初めてかもしれない。そういえばなにを書くか考えもせずテーブルに向かってしまった。わたしはマジックを手にしばらくぼんやりとしていた。隣に親子が来て、ねえ何色の短冊がいいの?ピンク?はいじゃあマジックで書いてねなんてやりとりを呑気に聞いていた。子供がふとわたしの方を覗き込んできたので(女の子だったのか、男の子だったのか覚えていない)、わたしはとりあえず微笑み返した。ふと後ろにわたしの短冊の書き終わるのを待っている人がいることに気づき、変に焦って、最近何故か背中が痛むので(現に今も背中に湿布を三枚ほど貼り付けている)、背中の痛みが良くなりますように。となんとも間抜けな願いごとを書いて急いで短冊を笹に括り付けた。括り付ける最中に誤って誰かの短冊を落としてしまったので、拾い上げて括り付けておいた。すみませんでした。まふ君に名前を覚えてもらえるといいですね。
 普段だったらじっくり他人の願いごとを楽しむところなのだけれど、なんだか気恥ずかしくなってそそくさとその場を後にした。笹は後日、近所の神社でお焚き上げされるらしい。わたしの背中の痛みも良くなるといいな。切実に。
 帰り道、コンビニの駐車場にいつもの猫がいたので近寄ってみた。いつもだったらすぐにビュンと逃げてしまうソイツなのだが、今日はかなり近くまでいっても耳をピンと立ててこちらを凝視するばかりで逃げ出さなかった。できれば触らせてもらえないだろうかと、わたしは考え、そりゃあ猫も自分よりデカイやつに見下ろされたら怖いよなぁと思って四つん這いになってみた。ソイツとかなり長い間見つめ合っていたのだが、近くを通って行った自転車に驚いたのかテテテッと何処かへ行ってしまった。ニャーン。四つん這いのリクルートスーツの女だけが残される。かなり不気味である。しかし、四つん這いになるというのは猫にとって有効であるらしい。そもそも、猫だけでなく、他者と接するときはきちんと目線を合わせることが大切なのだ。そうだな。わたしは変に納得して、手のひらと膝についた砂利を払って家路に着いた。
 今日は飲み会だという恋人の帰りは12時を過ぎた。帰ってくるなりハルヒ笹の葉ラプソディを見ようと言い出し、せっせとパソコンを起動し始めた。もう七夕終わったよと声をかける。あーしまったな、間に合わなかった、と言いながらもアニメを再生させ始めたので大人しく2人で見ていた。やっぱり長門は可愛いなぁなどと思いつつ、布団に入ったのだけれど、背中の痛みは増すばかりでわたしは明日のアラームをセットすることさえできなくなった。くそう。整形外科に行っても内科に行っても異常は無いという。ならばどうすればいいのだ。神様、どうか背中の痛みを治してください。ああ、そういえばハルヒが、願いごとがお星様に届くまで16光年かかるとか言っていたな。無理だ、間に合わない。痛みに唸りながら身体の向きを変え、恋人を起こさぬよう静かにこれを書いている次第である。
 人の願いごとというものは、ほんとうに魅力的だ。人というものを少しはマシに感じさせてくれる。願いごとはどんなものでもうつくしいと思う。そして、切実にそれらがきちんと叶うといいなと思ってしまう。どんな気持ちでそれらを書いたのだろう。これを書いた人はどんな人だろう。想像して思わず微笑んでしまう。愛しいと思う。生憎今日の夜空は曇っていたけれども。
 わたしの短冊をみて、ああこの子の背中良くなるといいな、と思ってくれた人がいたらいいのにな。皆さんの願いごとも、叶うといいですね。

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