ゆれる

 21年間わたくしがずっと避けてきたヒールの高いパンプス、安物だけどかわいらしい、ほとんどあるかないので、いくら歩きにくくてもかまわないのです。もう最近は見向きもしなくなっていた可愛らしいワンピース、大学1年生のころに買ったものばかりです、安っぽくて、ばかみたいで、お似合いなのです。こわくないといえばうそです、まるきりのうそです、笑顔でいってきますとクルマを降りますけれど、その次の瞬間にはわたくしの顔は緊張と恐怖で引きつっております。フロントで部屋番号を伝え、鍵を開けてもらいます、エレベーターが口をあけてわたくしを待っております、躊躇します、逃げ出したくなります、あたりまえのはなしではありませんか。でも逃げ出すことも許されますまい、わたくしは腹をくくり、エレベーターに飛び乗るのです、そうすると少し落ち着きます、あきらめてしまうとあとはもうながれてゆくだけです、だってわたくしのやることは決まっております、またゼーッたいよんでよね、甘たるい声でわたくしは其れ等に告げ、其れ等の肩にもたれかかります。もうお終いです、これでお終いです、自動ドアを出てもう一度愛想良く其れに微笑むと、急ぎ足でクルマへと向かいます、乗り込むと次のお仕事を告げられます。その繰り返しなのです。
 



 リクルートスーツのわたしを6月も間近の太陽が照らす。汗でワイシャツが肌にはりつく。肩まで伸びた重たい黒髪童顔のわたしは、スーツに着られちゃってる感満載のよくいる就活生だ。安物のパンプスが鳴らす。夕は涼しくて気持ちが良い。携帯を片手に必死に目当ての建物を探すわたしに、街の人間も親切に道を教えてくれたりする。頭を下げて歩き出すと、ああ就活生だねぇなんて微笑みを含んだ声がしたりする。わたしは正しく生きている。それを世間は歓迎する。歓迎されているのがわかる。だからわたしはリクルートスーツで街を歩くのが好きだ。正しさを纏っていられる。視線も痛くない。怖くない。だって、わたしは真っ当な人間なんですから。満員電車でふと、中年男性の顔がすぐ横に来たときにフラッシュバックを起こしてパニックになる以外、わたしはふつうの就活生なんですから。リクルートスーツを着ている間が、21年間でもっともわたしがまともらしく見える瞬間だと思う。平々凡々で、社会の荒波に苦労する、小さな女の子。わたしは、記号が好きだ。自分を記号付けするのが好きだ。分かりやすくて、きれいで、きちんとしている。安心する。記号の外に出なければ安全だ。わたしはリクルートスーツを着て、就活生という記号の中で、すこしだけ社会で生きやすくなる、息がしやすくなる。






だいふく、店長の猫の名前、わたしの中学のときのあだな。
ゆれる、金魚の尾、紅。
吐き気、クーラーの風、なにもない。
眠る、夢で人間が死ぬ、ちいさく泣く。

わらった。
金魚の尾、クーラーの風、夢で死ぬきみ。

水槽の中。