へんな時間に眠って、へんな時間に起きた時、眠りに就く前は明るかった空が暗くて、悲しくなる。人間が感じて良いとされている寂しさの容量を超えてしまっている寂しさをむりやり押し付けられて、わたしは途方にくれる。
 1ヶ月前くらいに実家に帰り、母親とけんかをした。たぶん、今までで一番ひどい喧嘩だった。ことばがつうじなくて、わたしは泣いたし、母親もそうだったんだろう。それからわたしは、母親に連絡をしなくなった。喧嘩の延長線上にいるからではなく、このひとにわたしの言葉はつうじないのだと悟ったから距離を置いてしまったのだと思う。親子の縁を切る、とまで言い放った母親に、わたしは愕然とした。どんなに感情的になっていても、わたしの口からその言葉はでないなとおもった。ただただかなしくて、母親の隣に敷かれたふとんでずっと泣いていた。
 なんでこんなことを思い出したのだろう。さびしくて、生命維持が困難なほどになる。たぶんきっと、さびしさをぴったりと埋めてくれるのは母親なんだと心の底で思っていたから、しかしその母親とはさいきんうまくやれていないから、連絡したくない。あ、わたしひとりぼっちなんだなとおもった。寝汗がきもちわるかった。だれもわたしを望まない世界。しにたいしにたいとわめくわたしをなだめてくれる恋人がいるのに、わたしはひとりなんだ。そういうことじゃない、もっともっと寂しい人間とわたしは、近づいて交わらなければ、そうしなければこれを乗り越えることができない。
 寝汗が気持ち悪かった夜、たしかにアレはものすごく寂しい人間だった。だからわたしは、ぴったりとうまった自分のこころの心地よさを再び得るためにひたすら求めてしまうのだとおもう。たしかに、わたしは満ちていた。ねえ、さびしいのはわたしの方だったんだよ。
 
 ふと心を入れ替え、いつも締め切りのカーテンをあけ、外の空気を入れている。きょうは久しぶりのアルバイトで、なにもない日じゃなくてよかったなと思う。なにもない1日をだらだらと食べつくすなんて今のわたしには到底無理な話だから。さいきんつとめて文章を書くのは、たぶん褒めてほしいから。書けば書くほど薄くなって、つまらなくなる気もするんだけれど、とりあえず文章をつくるというささやかな役割というか、わたしの唯一のものというか、それを得たのでかいている。今日は青空が見えないらしい。わたしのアパートは完全に沈黙していて、他人の生活を感じることができず、不安とさみしさに突き落とされそうになるけれど、不安とさみしさとわたしはよく似ているから大丈夫になった。