テディベアって大抵赤いリボンつけてる
まっくろでぴかぴかのピンヒールを買った。
赤いリボンを首に巻いたテディベアが座っている勉強机の上に、買ってきたばかりのそれを置いた。高揚感が体を飲み込んでいくのがわかる。エナメルのつるつるした輪郭を撫でてみる。こんなもの、ママが見たらきっとヒステリックにわたしを怒鳴って、もしかしたらほっぺをひっぱたくかもしれない。
ピンク色のシーツのベットに腰掛けて、逡巡する。どこに隠してもママは見つけ出すだろう。ママはわたしを愛しているから、わたしに、秘密を作っちゃいけないって約束をさせた。だからママはわたしの好きな花も、わたしが仲のいい友達の名前も、隣の席の男の子の名前も、わたしが使っているシャーペンの色も知っている。
ママはわたしの前髪の長さも、ヘアゴムの色も、制服のスカートの長さも、靴下のワンポイントも、全部決めてくれる。ママが切りそろえてくれる前髪は自分に似合っていると思うし、ワンポイントも可愛い靴下ばかり選んでくれる。スカートの長さだって、短すぎたり長すぎたりしたら全然可愛くないって思うから、ママの言うことは正しくて、わたしのこと愛してくれてる証拠なんだって思う。
なんでこんなもの買ったんだろう、と暗澹たる気持ちになってきた。学校へ行く途中、前を歩く長い髪の女の人のスカートからすらりと伸びた脚。カツカツとアスファルトを鳴らす頼りないかかとのそれ。わたしは心臓がドキドキした。きれいだなほしいなって、思ったから、貯金箱のお金を内緒で全部出して、靴屋さんに向かった。
秘密は作っちゃいけなかったのに。ママが悲しむようなことはしたくなかったのに。だってママはわたしを愛してるんだから。
こんなことをしたのは初めてだ。お小遣いを使うときはママに相談してからじゃなくちゃいけないし、なによりこんな靴、ママは絶対大嫌い。お腹の奥が気持ち悪くなってきて、息を吐いた。沈んだ気持ちと空っぽの貯金箱。名前のわからない気持ちになって、なんだかいらいらして、悲しくて、もう世界が終わっちゃえばいいのにって思った。わたしはとうとう泣き出して、ベットに突っ伏した。こんなの知らない。欲しくなかった。こんなことをしなければ、ママとにこにこしながらおいしいご飯を食べて、ママにおやすみのハグをしてもらって、ぐっすり眠れたはずなのに。
気持ち悪い。なんだか頭も痛い。こんなの初めて。馬鹿なことしたから、バチが当たったのかもしれない。少し開いたカーテンの隙間から夕陽が差し込んできて、わたしはますます憂鬱になってくる。嫌い。嫌い。全部嫌い。
わたしは立ち上がる。制服がシワになると怒られるから、脱がなくちゃ。くらりと目の前が歪んだ気がしたけど、気にしなかった。スカートのファスナーを下げて、すとんとスカートが床に落ちたとき、自分の太腿を伝う血にわたしは小さな悲鳴を上げた。
生理が来た。初めての。
友達がみんな小学校のうちに初潮を迎えていたのに、わたしには一向にやってこなかった。でもママはそんなの気にすることないのよって言ってくれてたけど、ほんとは不安だった。友達は生理なんてない方がいいって言ってたけど、なんだか大人っぽくて羨ましかった。
ママは喜ぶだろうか。ママは、わたしが女になって、喜ぶだろうか。わたしは女になった。ママとおんなじ、女になった。わたし、それじゃダメって、心の底では知ってた。ほんとはあと5センチスカートを短くしてみたかった。ほんとは前髪をヘアアイロンで巻いてみたかった。ほんとは色つきのリップクリームを買って欲しかった。ほんとはワイシャツのボタンをもうひとつ開けて着てみたかった。でもそんなことしたら、女になっちゃうからダメって、知ってたの。
ママは子どものまんまのわたしを愛してたのに。こんなもの買ったから、生理きちゃったのかも。
ピンヒールは勉強机の1番下の引き出しの奥にしまった。わたしが学校に行っている間、ママはその引き出しを開けるだろう。ママはそれを見つけて、きっとヒステリックに怒鳴って、もしかしたらほっぺをひっぱたくかもしれない。きっとママはそれを捨ててしまう。でも、もういらないの。
白
『1番すきな本、人に教えちゃっていいの?』
そう言われたことがある。わたしの本棚を観察していた男に、いちばん気に入っている本はこれだよと教えようとしたときだった。
わたしは、やめとく、と言った。ほんとうに教えなかった。なんとなく、その方がいいような気がしたから。わたしの脳みそのなかを覗かれるようなものなのかもしれないとおもった。思想や願望、欲望、信条、あこがれ。そういったものを、きっと見透かされてしまうのだろう。
最近初めて、他人にいちばんすきな本について話した。それは、わたしの全部を知っておいてほしいという気持ちからきたんだとおもう。滑稽ではずかしいけれど、そんな愚かなわたしすらも受け止めてほしい、見てほしい、あいしてほしい。
こんどその本をもってくると約束した。ベッドの上。絡んだり離れたりする身体。
きみの暗い目がすきだ。きみは生活の6割くらい、いやもう少し多いかもしれないな、暗い目をしている。見つめてみる。それでも、何も見えないから、きみの全部をしりたいから、きみの全部がほしいから、きみになりたいとすら思った。きみになったら、きみの思考すべて、きみのさみしさをすべて、わたしのものにできるのに。
わたしはどこまでも貪欲で汚い、自覚している。どんな方法をつかってでも、暴きたい、みてみたい、きみのみる世界。
きみのその暗い目がみるわたしはきっと、ひどく醜くて滑稽だ。